諦めと肯定

自分は欲深く、繊細な性格で、ちょっとした事で傷つき、疲れやすく、心配性であるのだが、そんな自分を受け容れるのに30年かかってしまった。

強く正しく生きなさいと教育されてきたので、頑張ってその型に自分をはめ込もうとしてきたし、その型にはめられないダメな自分を否定し矯正しようとしてきたが、どうもそれは無理だという事に気付いた。

本当は周りの人みんなから好かれたいし、可愛い女の子がいたらそれが正しくなくてもセックスしたいし、仕事では何か大きな成果を残したいし、自分を天才だと思い込んでいるときは気分が良い。

一方で、人の視線が気になるし、ちょっとした人の言動や仕草から相手の気持ちを読んで顔色を窺っては一喜一憂している。

そういえば、僕はずっとヒーローになりたかった。戦隊モノではレッドになりたかった。一度しかない人生、最高の成績を残せなかったら意味がないという感覚があった。でも、自分は特別に優秀な訳でも、活発な性格でもなく、リーダーでもなかった。そのギャップをどう埋めるかというと、努力し続けるしかなかった。人よりやれば成果は残せた。

でも先述の通り、僕は繊細で傷つきやすく疲れやすい。20代、疲れや心の痛みから目を背けて、心を完全に壊すギリギリまですり減らし、7年間で2回休職した。次は再起不能かもしれない。

僕は生まれつきの才能もなければ、努力の量や質でも周りに負け、かっこいいヒーローにはなれなかった。でも、そういう自分と向き合って、無理をしないようにしたら随分と生きやすくなった。

特別ではない人間の悪あがき

成人式でよく話題になるのは、北九州とかの田舎のマイルドヤンキーがド派手な衣装を身に纏い、ドラグァクイーンが集まるLGBTQパレードか、浅草サンバカーニバルかみたいな勢いでブチ上がる光景ですね。

成人式ツイートではこれが印象的だった。

https://mobile.twitter.com/_kohta/status/1216605527607611392

すぐに見つからなかったけど、他のツイートでも「成人式は自分が最後の主役の時で、この後は子育てや仕事に邁進する」的な内容のものも見かけた。

「成人式は通過儀礼」という本来の意図を考えると正しいし、「祭りはガス抜き」という文脈から見ても正しい。成人が成人式でブチ上がるのは正しい姿なのであろう。

僕の成人式は大学2年の冬。まだ何者にもなっておらず、帰り耐えるべき日常もない。普通の大学2年生なりのストレスはあったものの、自分の人生が「レールに乗って走り出している」という感覚もなかった。成人になる覚悟など求められていない。だから、成人式でブチ上がるなどという感覚はなかったのかもしれない。いや、生来の陰キャ気質のせいだろう。ともかく、僕にとって、特別な人間ではなく、平凡な人間として生きることを受け容れるというタイミングは成人式ではなかった。

その後、何度も壁にぶつかっては自分が特別ではないことを突き付けられてきて、その度に「楽で平凡な人生を選ぼう」と決意するのだが、終ぞそれを受け容れることはできず、面接では過剰に自己を演出し、また苦難多き会社に来てしまった。

平凡であることを受け容れ退屈だが穏やかな生活を送るか、分不相応な場所で刺激的だが心身ともにすり減らして生きるか。どちらが幸せなのだろうか。そんな事を考える成人の日だった。

きっと、10年前の自分にはこんなこと想像もできなかっただろうと思う。刺激的な地獄に身を置いて、白髪を増やし、特別ではない人間が悪あがきをするチャンスすらないと思っていたから。

長い冬休み

あけましておめでとうございます。2020年になりましたね。’20年代の幕開けですが、年明けから不穏な空気が漂っています。

だらーっとした好況が終わりそろそろ来ると言われ続けた中国発の不況も’10年代をまたぎ、アメリカがイランの偉い人を殺しちゃって「戦争か?」みたいな感じですね。

年が明ける前、僕の’10年代最後の数ヶ月が冬休みになり、本を読むかゲームするかで過ごしました。そこそこ沢山本読んだ気がする。その中で1番心に残ったのは『反脆弱性』という本でした。

 

 

この著者は、他にも『ブラックスワン』という、「誰もが存在しないと信じていた黒い白鳥が発見されたように、誰も想像していない甚大な被害を及ぼす事象が発生するし、それは予測できないよ」みたいな内容の本を書いています。くそ雑要約ですが…。

『反脆弱性』は『ブラックスワン』の続編みたいな本で、「やばい事象は、しっかり守りを固めて頑健性を高めてもそれ以上にやばいから無駄だよ。それより、その事象を受けて、壊滅状態から再生したり、耐性を付けたりするみたいに脆弱性をプラスに働かせよう」みたいな内容です。これもくそ要約ですが。

「予測できないよ」と言われつつも、長期トレンドから「そろそろじゃないかな」という香りがします。なんだかんだ言って、’10年代後半は割と平和な時期だった気がするので。まあ、3〜5年くらい前から、おじさん達の「いまってリーマンショック前の空気に似てるんだよね」と言うボヤキを聞かされ続けてきたのでアテになりませんが…。

2020年及び30代の目標は「やばそうな事が起きたらすぐ逃げて致命症は避ける。その代わり経験をプラスに変える」にしようと思います。

みなさん、生き残っていきましょう。

言葉の呪い・認知の歪み・存在しない社会常識

毎日何もしていない。正確に言えば何かはしている。朝11時ごろに起きてゲームをして、お昼を食べてぼーっとしていると夕飯の時間になり、夕飯を食べてまたゲームをしたり本を読んだりして寝ている。"生産的なこと"を何もしていない。

あまり親しくない女の子とデートをすることに慣れていなかった頃、「休みの日は何してるの?」という(いま考えたら本当にどうでもいい)質問に対して、何もしてないと返されて困惑した事を思い出した。「何もしてない訳ないだろ!」と思った。今なら分かる。要するに、話題にするほどでもない、取るに足らない事をしているという事だ。

仕事について忘れられたのは良かった。会社が少しでも良くなるよう身を粉にして努力してきたこと。社内政治に巻き込まれて左遷され怒りに打ち震えたこと。左遷先で危険な汚れ仕事をさせられ怯えたこと。左遷先から拾ってくれた恩人をまた社内政治から守れず失い悔しかったこと。ほんの半年以内に起きたことなのに、全ての感情が遠い昔のことのように思える。

当時、特に刺さって苦しかった言葉があった。「お前は全部他責にしている。環境から逃げている」と、最後の上司(恩人を社内政治で追い出した人間。僕は彼を上司と認めていないが)に言われた。悔しかった。運に恵まれた人間の論理だ。本当の地獄を見てない人間の発想だ。お前が僕の代わりに同じ目に遭ってみろよ、それでも同じこと言えるのかと思った。ただ、自分の思考の中にも「自分は逃げているのではないか」という不安が生じた。認識した瞬間、どんなに否定してもその言葉は消えなかった。言葉の呪いがかかった。

休職中、夢の中で何度もその上司と口論した。「自分はできる範囲で全力を尽くした。その上でこんなくだらない会社で働きたくないから辞めるんだ」というようなことを叫んでいた。彼にその場では言えなかったことだ。でも夢は続いた。たぶん、その答えでは自分自身でさえ納得させられなかったのだろう。

診療内科のカウンセリングに通い始めた。カウンセラーは、Tommy Febrary(例えは古いが)みたいな眼鏡が似合うお姉さんだった。最近、自分の年齢が、自分の頭の中にあるお姉さん像を超えてしまったことに対して動揺を隠せない。たぶん彼女は25~26歳で僕の中では「お姉さん」なのだが、僕よりも年下なのだ。。。

彼女に言葉の呪いの話をした。そしたら一言、「逃げちゃいけないんですか?」と言われた。「目の前に熊とかライオンがいたら逃げますよね」と。「逃げることも生存戦略の一つ」というとてもシンプルなアイディアで僕は救われた。そして、この生存戦略は僕個人が自分の状況に合わせて取るものなのだ。人によってある事象は羆かもしれないしリラックマかもしれない。人による。僕はいまの状況に耐えられないから逃げる、それだけだ。そのカウンセリング以来夢は見なくなった。

僕はずっと、自分に訪れた苦難かが「逃げてもいいレベルのものである」という他者からの承認を求めていた。一般的な社会常識に照らして、いまの状況が「この程度なら社会人として我慢すべきもの」か、「普通に考えて異常で逃げていいもの」か。前者なら甘えだ、忍耐力不足だ、と。しかし「この程度なら社会人として我慢すべき」というコンセンサスを得た社会常識は存在しない。僕は自分で作り出した「存在しない社会常識に沿った空想の社会人像」から逸脱することをずっと怖がっていた。

だが、決められた社会常識がないというのも実は辛い。「どの程度の辛い状況ならば離脱すべきか」という問いの答えは、自分の心の限界や、選択の結果起きる不都合と相談しなくてはいけない。誰も答えは教えてくれないし、責任も取ってくれないのだから。

雑記 運命について考えさせられたいくつかの出来事

次の会社を決めた。そしたら、すぅーっと心が軽くなった。

2019年春夏の悪夢を忘れられそうな寒さが来たからだろうか。なんだか悩みなんか最初から何もなかったかのようだ。まあ金がないというのは悩みの種なのだが…休職していてもボーナスは出るんだろうか。そんなことを考えながら、ぼーっとゲームをしながら生活している。窓から見える公園の木が寂しくなった。

 

3社からのオファーを全て別々のエージェント経由で頂いた。

1社目は田舎の純朴な青年という雰囲気のエージェント。当時第一志望の会社だった。最終面接中に「オファーレター書くよ」と言われていて、出たら即サインするつもりだった。しかし、書面で出るまで2週間待たされ、その間にもっと良い会社からのオファーが出てしまった。エージェントには企業との会食をセットする等尽力してもらったがお断りした。

2社目は元エグゼクティブ紹介専門の40代くらいの重厚感のあるエージェント。面接の対策からキャリア相談まで真摯に対応してもらった。面接の通りが良くなったのも彼との面談の後だった。しかし、今回入社を決めた会社が魅力的に映りお断りした。

3社目は外資系転職会社に勤めるハーフで日本語カタコトのエージェント、一度も会ったことはない。電話だけのやり取り。しかも、あまりにも対応が酷く、エージェントを飛ばして採用人事と直でやり取りを始めた。ただ、紹介された企業がとても好きになりこのエージェント経由で決めた。

…さて、一番優秀で一番頑張ったエージェントは誰だったか、一番ダメだったエージェントは誰だったか。そして、誰が数百万円のフィーを獲得したか。

 

先週、昔に好きだった人からLINEが来た。

普段降りないような駅でランチをした。何年ぶりだろうか久々に顔を見た。彼女はお金がないと言うので久々にサイゼに入った。とはいえ、他にろくな店もないような街だった。

「なんでそんな早く結婚しちゃったの?」と言われた。「音信不通になって君のことを諦めた。その直後くらいに良い人が見つかった」…とは言わず、「まあ相手の年齢もあったしね」とだけ言って濁した。

相変わらず顔は可愛かったが、社会経験も恋愛経験も全部追い越したと思った。いまの彼氏も若くて未熟で、まあいけてない。いまなら、たぶん上手くやれる。

でも、僕は結婚している。嫁も好きだ。別れようなんて気は全く起きない。結局、彼女は僕の人生において「とにかくすれ違った人」になった。

 

最近、僕は「あらゆるものが神様の定めた運命として決まっている。自分では何もコントロールできない」そんな風に思うようになった。もしそうならば、執着心は捨ててさっぱりと生きていくしかない。

雑記 徘徊老人生活で感じたこと

最近、毎日図書館に来て自習室のようなスペースに座っている…のだが、モチベーションが湧かず何もできない。手が動かない。仕方ない、それがメンタルの故障というものだ。

 

とは言いつつ、転職活動は想定以上に成功した。

本番直前までネカフェで寝込み、ブラックコーヒーを一気飲みして、無理やり覚醒状態を作って面接に臨んだ甲斐があった。故障したエンジンを無理やり瞬間最大出力まで引き出して勝ち取った勝利だ。

 

都会の真ん中にある大自然に囲まれた図書館。
特に何かがしたい訳でもないので、秋空を眺めながらぶらりと歩き回る。ご老人が多い。まるで老後の余生を疑似体験しているような気分になる。

 

僕はずっと東京に憧れがあった。
父は東京生まれ東京育ちで、実家のある地方に転勤して来て、定住した。だから、父方の祖母に会うために、小さい頃よく東京に行った。祖父は実業家だったが早逝したらしい。

 

見栄っ張りな性格の祖母は、いつも東京のきらきらしたものを用意した。
原宿・南国酒家のクリスマスディナーは、田舎育ちの僕を都会かぶれのクソガキにするには十分だったし、都心の綺麗で上品な公園こそが、「大人の街」のイメージだった。
いまもそのイメージを追い求めてか、最近は都立中央図書館のある広尾の有栖川宮記念公園に通っている。南青山・広尾・西麻布辺りの雰囲気が好きで散歩もする。

 

ただ、さすがに毎日通っているうちに飽きてきた。
幼い頃の鮮やかなイメージも、通い詰めれば上書きされる。確かに、上品で落ち着きのある空間なのだが、幼い頃に感じたほどの圧倒されるようなものはない。

 

僕は好奇心を食べて生きてきた。
好奇心は、漠然とした期待や憧れを伴ったイメージを、知識・経験に変えていった。幼い頃の憧れだった東京という街は、既に知識・経験になってしまった。
いま、人生における期待や憧れのストックが切れてしまって、好奇心が生まれなくなってしまった。