特別ではない人間の悪あがき

成人式でよく話題になるのは、北九州とかの田舎のマイルドヤンキーがド派手な衣装を身に纏い、ドラグァクイーンが集まるLGBTQパレードか、浅草サンバカーニバルかみたいな勢いでブチ上がる光景ですね。

成人式ツイートではこれが印象的だった。

https://mobile.twitter.com/_kohta/status/1216605527607611392

すぐに見つからなかったけど、他のツイートでも「成人式は自分が最後の主役の時で、この後は子育てや仕事に邁進する」的な内容のものも見かけた。

「成人式は通過儀礼」という本来の意図を考えると正しいし、「祭りはガス抜き」という文脈から見ても正しい。成人が成人式でブチ上がるのは正しい姿なのであろう。

僕の成人式は大学2年の冬。まだ何者にもなっておらず、帰り耐えるべき日常もない。普通の大学2年生なりのストレスはあったものの、自分の人生が「レールに乗って走り出している」という感覚もなかった。成人になる覚悟など求められていない。だから、成人式でブチ上がるなどという感覚はなかったのかもしれない。いや、生来の陰キャ気質のせいだろう。ともかく、僕にとって、特別な人間ではなく、平凡な人間として生きることを受け容れるというタイミングは成人式ではなかった。

その後、何度も壁にぶつかっては自分が特別ではないことを突き付けられてきて、その度に「楽で平凡な人生を選ぼう」と決意するのだが、終ぞそれを受け容れることはできず、面接では過剰に自己を演出し、また苦難多き会社に来てしまった。

平凡であることを受け容れ退屈だが穏やかな生活を送るか、分不相応な場所で刺激的だが心身ともにすり減らして生きるか。どちらが幸せなのだろうか。そんな事を考える成人の日だった。

きっと、10年前の自分にはこんなこと想像もできなかっただろうと思う。刺激的な地獄に身を置いて、白髪を増やし、特別ではない人間が悪あがきをするチャンスすらないと思っていたから。